今回は元バレーボール選手・菅山かおる(すがやま かおる)さんについてご紹介します。
菅山かおるの子供(息子?娘?)
「かおる姫」の愛称で知られる、元バレーボール選手の菅山かおるさん。
白い肌に端正な顔立ち、小柄ながら高いジャンプ力でスパイクをガンガン決めて人気を集めていましたね。
そしてインドアからビーチバレーに転向後も様々な舞台で活躍していました。
そんな菅山さんは、2011年、同じビーチバレー選手の西村晃一さんと結婚し、同年10月に第一子となる男児を出産しました。
ビーチバレーの菅山かおる選手(32)が、28日に第1子男児を出産したことを、29日付の自身のオフィシャルブログで報告した。
「3804グラムの大きな男の子が誕生しました」と、ビッグサイズだったことを明かす菅山。
母子ともに元気というが、「1年に1度あるかという大難産」だったそうで帝王切開で出産。「産まれた時には、仮死状態だった」という。
そんな苦労があっただけに、「何よりもこうして私たちのもとに、新しい命が誕生してくれたことに、言葉ではいい表せない嬉しさでいっぱいです」と、感動をつづっている。
壮絶な出産だったみたいですね。無事に産まれて何よりです。
菅山かおるの子供の幼稚園と名前
2011年に結婚して同年に産まれるということはできちゃった結婚だったのでしょうか?残念ながら子供さんの名前や通われている学校はわかりませんでした。
「いろいろ考えますが、特別何か英才教育で学ばせるということは考えていません。普通の生活の中で、自然と子供が夢中になったものを応援してあげようと思っています。私も旦那も、子供がどんなことをするのか、今から楽しみです。」
来年は小学校にあがる歳でしょうか。まだまだ手がかかる時期だと思いますが、旦那さんが協力的なおかげで、楽しみながら子育てできる環境にあるようです。
出産で入院しているときも、毎日洗濯物をして毎日持ってきてくれましたし、仕事がないときはずっとそばにいてくれたりもしました。
子供が生まれてからも、ちゃんとおむつを替えてくれますし、お風呂も入れてくれますし、そういうフォローは本当に助かります。
元々、旦那さんは子供が大好きな人で、バレーボールで知り合った子供たちとも自分の友達のように一緒に遊んでたりしていたようです。
最近は子供が旦那さんと一緒に遊べるぐらいに成長してきたので、毎日キャッキャと声を出しながら2人で遊んでます(笑)。
元気でやんちゃな子なので、やはりケガについては心配してます。部屋にいるだけでもとても神経を使って、「何か床に小さいものは落ちてないかな」「危ないことをしていないかな」と常に注意しています。
あと、育児で困ったことと言えば、食べ物ですね。最初、離乳食を嫌がらずに食べてくれていたのですが、あるときから全然口にしなくなってしまったのです。それで「どうしてなのかな……」と思って、野菜を細かく刻んだりしながら手探りで工夫をしていたのですが、最近またやっと食べてくれるようになりました。それでも、やはり嫌いなものはペッと口の外に出したりしてしまいますが(笑)。」スポンサーリンク
試行錯誤しながらママとして頑張っているかおる姫を応援したいですね!
菅山かおるの旦那が西村晃一?
菅山さんは2009年にビーチバレーに転向し、西村さんが社長を務める事務所に所属しました。
事務所の社長兼選手である西村さんと、自然な交際から結婚を意識するようになったといいます。
昨年12月26日の誕生日に、東京タワーの下で「結婚しようね」とプロポーズされ、涙ながらにOKした。
今年3月3日に米ラスベガスの教会で2人きりの式を挙げたことを認めた。日本では婚姻届を提出しておらず、「5月か6月中に出そうと思っています」と話した。菅山は現在、左膝痛と腰痛でツアーを欠場しており、夏の海外大会か秋の国内大会での復帰が目標。西村の母から、西村が好物の肉じゃが、きんぴらごぼうのレシピを伝授されており、しばらくは内助の功で夫を支える。
結婚して7年近くたった現在も夫婦仲は良好のようです。
ビーチバレーボール選手として困ったことを訊かれた西村は「日焼けをする。ただでさえチャラさがあるのに。黒いともう・・・」と切り出すと、妻・菅山については「インドアの頃から知ってたんですけど、もともと僕からずっと逃げてました。なんかチャラさがあったみたいで」と苦笑い。
菅山もまた「当時は女の子といつも喋ってたり、写真撮ってたりするんで、すごくチャラそうに見えてて避けてました」と語ったが、その気持ちに変化があったきっかけを「チャペルを二人で腕組んでおりてくる夢を見たんです。全然仲良くない時に。その時、付き合ってる彼氏がいたんですけど」という。
2人が惹かれあうのは自然の流れだったようですね。これからも仲良し夫婦でいてほしいですね。
菅山かおるの高校はどこ?
菅山さんは古川商業高校2年の時に第27回春の高校バレーで優勝し、3年の時に主将を務めて注目を集めます。
小学校3年からスポーツ少年団に入りバレーボールを始め、抜群のバレーセンスでどのポジションでも活躍していました。
高校卒業後は小田急ジュノーに入社しアタッカーとして活躍し、1999年、チームの廃部に伴いJTマーヴェラスへ移籍します。
菅山さんは高校時代からエースアタッカーで、もともとはリベロではありませんでしたが、バレーセンスが高く、どんなポジションもこなせるため、チーム事情が苦しくなったJTはやむなく菅山さんをリベロにしました。
日本代表の一時代を築いたパワフルアタッカーの高橋めぐみ選手と、抜群のルックスから男性ファンも多かった菅山かおる選手。
実は高校時代に同じチームでプレーしていた。
また菅山さんや高橋さんのスーパープレーを見てみたいですね!
この辺で菅山かおるさんの紹介は終わりです。