今回はプロ野球選手・松井秀喜さんについてご紹介します。
松井秀喜の子供(息子)2人目の噂は
ゴジラ松井の愛称で知られ、日本の野球史に名が残る名選手である松井さん。
巨人時代は三打席連続ホームランも成し遂げ、惜しまれながらも2012年に現役を引退しましたね!
2013年には国民栄誉書を授与された知る人ぞ知る名選手ですが、プライベートは謎につつまれています。
松井秀喜の嫁が中山愛さん
戸田菜穂さんを始め数々の美人女優と浮名を流した松井選手ですが、2008年に一般女性・中山愛さんと結婚しました。
記者会見では嫁の希望で顔出しはNGのために似顔絵での登場でしたね。
嫁がホステス「うさぎ」で「ミズノ」の噂
結婚までの馴れ初めは、松井選手がNYの「うさぎ」というクラブでホステスをしていた中山愛さんに一目惚れし、松井選手の猛アタックの末結婚しました。
中山さんは富山県出身で、野球品メーカーミズノの社長秘書を務めていたとも言われているので、真相は不明です。
報道では松井秀喜選手の嫁は長澤まさみ似の美人であると言われていましたが実際はどうなんでしょうか?
かなりレアですが画像はありました。
かなりの美人妻ですね!
ゴジラと言われた松井選手がこんな綺麗な奥さんをゲットするとは・・・まさに美女と野獣ですね!
松井秀喜の子供(息子)の2人目
そんな2人の間には2013年3月に誕生した長男がいます。
将来松井選手のような有望な野球選手になることを期待されています。
ネットではゴジラにちなんで「ミニラ」なんて呼ばれています。
松井秀喜に2人目の子供が生まれた2017年
松井秀喜さんは、2017年1月に2人目の子供が誕生しました。2人目の子供も、男の子のようです。
気になる松井秀喜さんの子供の名前や画像は一切公表されていませんでした。
ここ数年臨時コーチとして参加していた巨人の春季キャンプには、育児のため参加しないことを表明したことで2人目の子供の誕生がわかりました。
松井秀喜さんは、ニューヨークの自宅で「日々元気にしています」と発言しています。
家族思いの松井秀喜さんは2人の子供のイクメンも熱心に子育てに参加しているようですね。
松井秀喜さんの現在の住まいは日本ではなく、ニューヨークという噂がありますね。
2人目の子供が生まれた松井秀喜のニューヨークでの子育て
2003年に大リーグ・ヤンキースに移籍して以来、ずっとアメリカで生活している松井秀喜さん。
現在も、自宅のあるニューヨークで生活しているようです。日本に帰ってくることは今のところなさそうです。
NYでの出産ということでアメリカ国籍ももっているので、アメリカでの野球の英才教育を受ける可能性もありますよね。
さらに2017年1月には次男が誕生しています!男の子2人なんて将来有望ですね。
松井秀喜の子供(息子)の障害の噂
長男は5歳、次男は1歳になったようで、2人目の子供(次男)は障害をもっているなんて噂がありますが、根拠はないようです。
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ということで相変わらず有名人の子供に関する障害の確認がされてしまうということで、なんとも言えませんが、
しかし障害の事実がないのであれば、こちらも障害がないと明記しておく必要がありますからね。
こればっかりは仕方ないかも知れません。
とにかく松井秀喜さんと子供を含めて、家族に関する情報はこれでもかってくらいシャットアウトされていますからね。
万が一障害があったとしてもそれは障害の噂ということだけで済まされてしまうでしょうけど。
松井秀喜の子供(息子)の写真はある?
結婚の際「奥さんの名前や写真などの個人情報は一切公表しない」との約束ですから、自分の子供の露出をOKするわけありませんよね。
奥さんが顔出しNGの理由は結婚前にホステスをしていたからなのかもしれません。
松井さんは子供に野球をやらせるのか、という質問に対して「本人がやりたいと言ったら、やってほしい。僕は野球というスポーツからいろんなことを学んだので。野球ならいろいろ指導することができますし、やってくれたらうれしいでしょうね。」
と語っています。本音は野球をやらせたいのでしょうね。
松井秀喜の子供時代
超一流選手に育っていった松井選手の子供時代は誰もが気になるところですよね。
松井選手は元々右バッターで、遠くに飛ばしすぎるので遊びの中で兄から左打ちにするよう言われたのがきっかけで左打ちに変更したのだとか。
そんな松井選手の小学校からの座右の銘は「努力できる事が才能である」だそうです。
松井選手はかなり真面目に練習をする選手として有名ですが、最初から最後まで真面目では疲れてしまい、長続きしないので、「遊び(楽しみ)ながら練習する」ようにしたのだとか。
遊びの中で左打ちを習得することができるってすごいですね。
松井選手だけでなく、多くのプロ選手が「遊び(楽しみ)ながら練習する」事で様々な技術を習得しています。
松井さんは生まれたときの体重が3960グラムとかなり大きく、3歳で自宅近くの保育園に入園した際は「保育園史上最大の園児」と言われたそうです。
当時の保育園の先生は「8歳ぐらいに見えました」と語っているほど。
「ゴジラ松井」は小さいころからその頭角を現していたのですね。
周りの児童に比べかなり大きかったため、根上町立浜小学校1年生の時に3年生以上で構成される軟式野球チーム「根上少年野球クラブ」に特別に入団させてもらったが、まだ幼すぎて監督の指示などが理解できず、一旦野球をやめてしまいます。
4年生の時に父から再入団を勧められるが、幼少時のショックは大きく、拒否します。
しかし、野球に打ち込む3歳上の兄に触発され、小学5年生の夏休みに再び軟式野球チームに入り、本格的に野球を始めました。
その頃から、既にプロ野球選手を夢見ていたんだとか。
柔道の他に、わんぱく相撲大会でも活躍していたりとスポーツの才能は生まれつきだったようです。
この辺で松井秀喜さんの紹介は終わりです。